不用品だけどゴミじゃない。おじいちゃんのタンスの話。
これは私が船橋にあった実家を売却するときのお話しです。
仕事の都合で都内へと引っ越し、維持費も考えると、船橋市にあった家をそのままにしておくわけにもいかず、残念でしたけど売却することになりました。
そして目の前に迫った不用品の処理という課題。
この家は、代々住み続けた家でしたので、倉庫には、私や父母だけでなく、祖父母や曽祖父母のものまでたくさんの不用品がありました。
冷蔵庫やテレビ、クーラーにオーディオなどの電化製品から、タンスに食器棚、本棚、鏡台やサイドボードなど、本当に使わない不用品が山のようにあったのです。
しかし、この時は、それでも、自治体にお願いすれば何とかなると思っていました。
ところが、自治体にお願いするのは本当に面倒だったのです。
まず、当時すでに都内に住んでいた私にとって自治体でいちいち手続きが必要な個別回収をお願いするのは本当に手間がかかることでしたし、家電リサイクル法の対象になる家電は適応外で、何より自治体の個別回収が来てくれるのは平日だけ。
これでは、仕事をしている私には実質無理です。
そこで私は、いわゆる自治体の指定日回収の日に、小分けにして集積所に出すという手段でいくことにしたのです。
私は重い気持ちを引きずりながら、何回に分けてどんな順で持ち出すかを考えるために、残された家具たちを一つ一つ調べ始めました。
そして、見つけたのです。
それは倉庫にしまってあった、古い、もうタンスとしての要をなさなくなってしまった、元タンス。
私以外の誰が見ても、もうそれはただの不用品で、いわゆるゴミと言われてしまうようなものだったのですが、私の視線はそのタンスに奪われたまま動くことが出来なくなってしまいました。
それは、大好きだったおじいちゃんのタンスだったのです。
合板ベニヤで作られた安物のタンスですが、その傷の一つ一つ、ちいさな染み、そして上板のはげたほころびなど、どれ一つとっても私にとって懐かしいおじいちゃんの面影を感じさせてくれるものでした。
そのホコリでざらつく表面をさすりながら、それをじっと見つめていると、毎日のように、このタンスにもたれて絵本を読んでいた小さな私と、それをまぶしそうに見つめていたおじいちゃんの顔が浮かんできて、気が付くと私は涙していました。
そして、思ったのです。
私は、こんな思い出の詰まったものを集積所に捨ててしまうのか、と。
街中でよく見かける風景が浮かんできます。
道端に積み上げられた不用品。雨の日などは、びしょびしょに濡れて、もうそれは本当にゴミとしか言いようのない姿になってしまった家具。
そう思いながら周りを見渡しました。
そこにあったのは、おばあちゃんの鏡台、家族で見ていたブラウン管のテレビ、お母さんの衣装ケース、お父さんのオーディオラック、そして私の学習机。
その全部を、私はゴミにしなければならない……無理です。そんなこと、できるはずもありません。
しかし、このままにしておくことはできません。
この家はもう私のものではなくなるのですし、ここにある家具を運び込めるような大きな部屋に住んでいるわけでもありません。
私にとっては大切な思い出の家具でも、もう使えないそれは他人が見たらゴミです。
譲ることも売ることもできません。
でも、集積所に放置することだけは絶対に嫌でした。
そこで私は、不用品回収業者の方にお願いすることにしたのです。お金は少々かかりますが、それでも、思い出の詰まったものを野ざらしになんかできなかったからです。
そして、私はその判断が正しかったと、いま心から思っています。
不用品回収業者の方は、こちらの都合のいい日に来てくれて、数々の家具や、リサイクル法の対象である家電も一度に運んで行ってくれました。
しかも、それを、丁寧に運び出してくれたのです。
確かにそれは、ゴミになってしまうのでしょう。しかし不用品回収業者の方の手つきは、決してそれをゴミだとして扱うのではなく、最後まで家具として扱ってくれたのです。
私にはそれで十分でした、たしかに、祖父の、そして家族との思い出の家具はなくなりました。でも、私の手の中には、それを最後まで大切に扱うことが出来たという事実が残ったからです。
運び出しの当日、私は不用品回収業者の方に大事そうに抱えられているおじいちゃんのタンスの写真を撮りました。
今は、その写真を私の部屋のどこに飾ろうか、悩んでいる最中です。