東京都世田谷区の遺品整理事情特集・体験談を掲載しています。

独立し、それぞれの生活を確立した20代~60代の年代の方が、世田谷区にあるご実家の遺品整理にお困りになる事例がございます。
自分は家を出てしまって、実家に頻繁に帰れない。あるいは、東京・世田谷区を遠く離れて生活を営んでいる方。
ご実家から遠ければ遠いほど、急な事態には重く負担がのしかかってしまうものです。

遺品整理があろうとも、やはりお客様自身の生活が最優先です。遺品整理に悩んで、仕事を何日も休むと生活が破綻しかねません。何度も足を運ぶことが難しいお客様のために、弊社では電話見積りでの遺品整理も可能ですので、お気軽にご相談頂ければ幸いです。

以下、実際に弊社へ遺品整理をご依頼頂いたお客様からの、貴重なお話を頂きました。こちらの方は、遺品整理現場のある世田谷区から遠く離れた、関西に在住なさっている方です。(プライバシー保護のため、お名前は伏せております。)

-----------------------------------
実家で一人暮らしをしていた父が息を引き取りました。タバコとお酒が大好きでも、まったく体を壊す気配も無く安心していた矢先、
70代に差し掛かったころから病気がちになり、弱弱しくなってしまいました。

当然仕事は忌引きで休みはありますが、その中でできることなんて限られています。今は仕事で大事なプロジェクトを任されていて、正直、なぜこのタイミングでこんなことが起こってしまうのだろうと考えるだけで体力を消耗してしまいました。同じような経験のある身近な人に相談もしてみました。すると、『法事や遺品整理は大切だけど、自分の生活が何よりも大切。あれもこれもはできないのだから、急を要するものはその道のプロに相談してほしい。自分の身に置き換えてみて。自分が亡くなったとして、子供が遺品整理で頭を悩ませている。そのせいで会社を休まなくてはならない。心苦しいでしょう?自分の子供なら、早く清算して、自分の生活を第一に考えてほしいと思うはず。』と助言されました。確かに、自分の遺品の事で子供が頭を抱えていたら、早く肩の荷を下ろしてあげたいと思います。そんなことよりももっと大切なことがあるよ。自分を見失わないでと胸を痛くするはずです。大家さんや親族にスムーズに手続きを終えるために、そして自分の生活を守るためにも、遺品整理業者さんの手を借りようと思いました。

実家が世田谷にあったので、そちらで遺品整理を引き受けてくれる会社を探して依頼に至りました。実家とはいえど、借家暮らしだったので大家さんに迷惑をかけるまいとすぐに回収して頂きました。作業後には、写真付きの報告書を頂いたので、離れていても大丈夫でした。

そんな思い出いっぱいの借家も、私が住んでいたころに比べるとすっかり襤褸になり、私の父を最後に取り壊して改装されるようです。

掃除が苦手な父だったために、遺品も大量になってしまって、一部の部屋ではゴミ屋敷のような状態でしたが、一日足らずで御社に手際よく片づけて頂いて大変感謝しています。最後に、私と同じようにご実家の遺品整理で悩んでいる方がいらっしゃいましたら、どうか思いつめずに、頼れる専門家がいるという事を是非知ってほしいです。

東京都世田谷区全域で遺品整理にお伺い致します

宗教的な意味合いがある通夜・葬式から四十九日や一周忌など、区切りを用いて故人を偲ぶ儀式があります。
遺品整理も、同じように大切な儀式です。四十九日や一周忌などとは違い、
故人が過ごした空間から日用品・家財道具などの遺品に触れることができる遺品整理は、
ある意味、どの儀式よりもより深く・そして身近に故人を思い出せるものだと感じます。

世田谷区に一戸建ての自宅があり、そこでお亡くなりになられたのであれば、お葬式・お通夜は自宅に招いて行う
事もできますが、アパートやマンションで一人暮らしをされて亡くなった場合、葬儀関係は
ホールで という選択をされる方のほうが多いようです。
また、孤独死をされる方はアパートやマンションにお住まいの方が圧倒的に多いようです。

喪服も葬儀も、なんだか非日常のものに感じられて、まったく現実味がない。
畏まった場の法事よりも、故人が暮らしていた部屋に行ってみることにほうが重みがある。
『そういえば、片づけなければならないな・・・』と思いついた時に
普段着で駆けつけた故人の部屋のほうが、リアリティを感じてしまい、余計に辛い別れになることもあります。
法事は形式が決まっているので、ルールに沿って参加すればいいのかもしれませんが、遺品整理にルールやコツなどありません。

そして、ご遺族の中には遺品整理中に泣き出してしまう方も少なくありません。
『お葬式の時は泣けなかったのに、どうしてでしょうね?こっちのほうが現実味があって辛い・・・』

なぜなら、故人が過ごしていたという現実が、そっくりそのまま置き去りにされているからです。
葬儀や告別式では他人の目があるために気丈にふるまえるのかもしれません。
その反動で、一人になった時にワッと感情があふれてしまうものです。

畳んでいない洗濯物、まだ洗っていない食器、読みかけの雑誌、食べかけのお弁当・・・
故人のすべてがその部屋の中に集約されています。
何もかもが、故人に置き去りにされたままなのです。誰かが片づけてくれるのを待っているように・・・

ご遺族にとって葬式は弔う間もなく、そしてあっけなく終わってしまうものかもしれません。
ですが、遺品を目の前にすると固まってしまう。ああ、完全にお別れしたわけではないのだと気づく。
考えれば考えるほど、触れることもできずに立ちすくんでしまう。
遺品を手に取るたびに涙があふれてしまう。そしてまだ心の奥で生きているのだと気づく。
かつて筆者も、このような経験が二度ありました。

遺品整理は大事な区切りです。
故人の時間は止まりました。それでもあなたの時間は進んでいるのです。
あなた自身の新しい人生を生きてゆかねばなりません。